◆甚兵衛が住んでいたのは、今の大阪府東大阪市(ひがしおおさかし)今米(いまごめ)という所です。近鉄東大阪線という電車の吉田(よした)駅の北側あたりになります。甚兵衛が生きていた時代は、「江戸時代(えどじだい)」と呼ばれていますが、そのころは、河内国(かわちのくに)河内郡(かわちぐん)の「今米村(いまごめむら)」と言いました。村人はみな農民でしたが、甚兵衛の家は庄屋(しょうや)といって、代々(だいだい)、村を代表する仕事もしていました。残念なことに、生まれ育ったその屋敷(やしき)はもう残っていません。今はその一角に、次のような説明が書かれた「中家屋敷跡(なかけやしきあと)」というポールが建っているだけです。 |